新潟日報(生活面13)で。
筆者:渡辺崇
■平成17年9月20日の新潟日報(生活面13)で、要約筆記に関する記事があった。
題は「求む 要約筆記者 耳代わりになって」 講演会など派遣依頼増加 需要に育成追いつかず 。
■特に気になったのは内容は聴覚障害者の支援組織で難聴者・中途失聴者の支援者として新潟県要約筆記サークル連絡協議会の会長、三保氏のコメントを見て驚いた箇所を取り上げてみた。手話を使えるのは幼児期から訓練を積んだ人が多く、全体の2割以下。・・・といった下りがあった。
■こうしてみていると・・・
■こうしてみていると聾学校の幼稚部では手話の訓練を受けているような話に感じるが、その場面を見たことのある専門家としてのコメントとは思えない。新聞というマスメディアで、専門家としての見解を話したのであれば、聾学校の幼稚部から高等部までは問題なく手話を話せる環境(聾学校)であるように思い込んでしまう。到底、熟知したものの意見ではなく、実際に現場も見ていない人がこうしたコメントとして新聞に掲載されてしまう怖さを感じた。
■聴覚障害者の大半は要約筆記が必要な人々だと言いたいのだろうか?これに関して私は基本的に情報保障の整備に関しては賛同している。
■論点はむしろ、手話ではなく要約筆記であり、聴覚障害者=手話ではないという図式から幅広いコミュニケーション支援の図式として要約筆記もメインの1つに挙げるべきだと感じている。こうした情報保障をキチンと整備できるように、公共的な講演会・説明会等及ぶ範疇でユニバーサルの1つとして要約筆記を整備するべきだと思っている。ハードの整備よりもソフトの整備が遅れているのが実情だ。
■公共的な活動をどんな場所でも出来うる限り、情報保障されていれば、あらゆる人々の情報保障にもなりうる。私見であるが、「情報保障税」を作って出来うる範疇で情報保障できる社会を皆で共生しあえる社会にならないと支援者はいつまでも報われない。日本語で情報保障が出来るという図式が成り立ち、要約筆記というキチンとした職業(情報化社会の仕事)という社会資源を作り出すことが可能になるだろう。そういう発想がないと、特に手話通訳者・要約筆記者の大半は女性が支えているということはあることを証明する。社会資源が貧困なのだということを!わが身を犠牲する尊い精神よりも、収入が安定として得られる職業となれば、アマチュアな支援者もプロ意識が発生し、情報保障のレベルアップにも貢献できるだろう。ボランティア根性でやっていこうという危うい世界に、支援者はわが身を犠牲して、当事者の耳の代わりになろうとしても、過酷な環境は改善しない。手話通訳・要約筆記の世界及び聴覚障害者の世界から足を洗った人を私は沢山知っている。
■三保氏のコメントでは聴覚障害者の2割以下はは手話使用者というコメントがあったが、私は少なくとも5%~10%未満だと思う。実際に聾学校にいる聴覚障害者の大半は普通学校に通うケースが増えてきていて、聾学校の幼稚部から高等部の生徒だけでも50人以下だったりもするからだ。それも手話訓練・指導もしていない聾学校である。しかも、手話の訓練・指導もしない学校環境で、手話を習得できない子供達が増えているのが現状で、手話も日本語も身につけられない「言語難民」がこれから増えていくのは確実で、若い世代に及んでいるのは間違いない。原因は聾学校の教師の大半は手話出来ないのだから。それで、手話の訓練なんぞ、無理がある。
■聴覚障害者の大半は高齢者、中途失聴者(難聴者)で、手話使用者であるろう者は聴覚障害者の中でも少数派に入る。
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